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早川総代表のコラム

反応の法則

By お知らせ

『スピードの3大原則』を読まれて、筋力と速さだけでなく、反応(反射神経)も、衰えやすいのではないか、そう思われた方も居ると思います。

そして「速さより早さ」が重要というならば、その早さに直結するのが反応ではないかと。私も以前はそのように考えていました。

しかし長く柔術を続けてきて確信しました。私の実感として、柔術に要求される反応は、あまり衰えません。

柔術における反応とは、相手と接触したところから、相手の体圧の変化や重心移動を感じ、そこに自分の技を合わせる、あるいは乗せることが主であるからです。

相手のパンチやキックをかわすとか、ボールを目で追うとか、弾丸をよけるとか、そういった反応が要求されるわけではありません。

タックルを切る速さなどはたしかに衰えたと思いますが、それも相手の初動、もっと言えば初動に入る前のわずかな所作を見切ることによって、ある程度のレベルで対処できます。

体に蓄積される経験則は、キャリアを重ねるごとに厚みを増すため、カウンター系の技などはむしろ精度が上がったとすら感じます。

これらは言語化が難しい領域ですが、船乗りが雲の色を見て、潮の香りを感じて、天候を予測するかのごとく、柔術の熟練の達人たちは、相手の気を読み、あるいは気を合わせて、それに反応し技を掛けているのだと思います。

スピードの3大原則

By お知らせ

今回は柔術におけるスピードについて書きます。

物理的な速さは、あれば役に立つと思いますが、私はそれほど重要視していません。

筋力とスピードは衰えやすいです。

衰えやすいものはあまり信用していません。

私の柔術におけるスピードの3大原則は以下の通りです。

1. 選択の早さ
2. 動き出しの早さ
3. 最短の手数

1の選択の早さについては、叩いてかぶってジャンケンポンを例に出してよく説明します。最適な技を相手より早く選ぶことです。

2の動き出しの早さは、より強く意識するのは連続攻撃における2つ目以降の技を出す時です。技の終わりが次の技の始まりになるように意識することです。

3の最短の手数は、パスガードや腕十字を掛ける際に、手や足を床に着く何気ない動作も、不要な一手があればそれらを全て削ることです。

これらの能力に優れた柔術家は、私の経験上、相手に対して物理的な速さすらも感じさせます。

トライフォースの経営について語る【島田裕二 x 早川光由 キャリコントーク】

By お知らせ

PRIDEやK-1の元レフェリーとしてもお馴染みの島田裕二さんのYouTubeで、『キャリコントーク』というテーマで対談させて頂きました。

現在の島田さんは、幼保園を経営されるビジネスマンであり、先日も千葉県行徳駅前に新設された幼保園にて始まる「コンパスダンススタジオ」の記者発表が話題となりました。

今回の動画では、経営者としての目線で早川にインタビューして下さり、私やトライフォースのキャリアがよく分かる内容にまとめて下さいました。

平直行先生、石川祐樹、渡辺直由、趙壽廣といった、私のキャリアのおけるキーパーソンの名前も、自然な形で出て来ました。

みなさま是非ご視聴下さい。

【前編】
・早川さんはプロレスが好き!?
・早川さんが柔術を始めたきっかけ
・正道会館柔術クラスについて
・”ピュア柔術家”早川の誕生
・20年前に今の自分を想像していたか?
・柔術指導と経営について
・参考にした海外道場はありますか?

【後編】
・道場を持とうと思った時の不安は?
・トライフォース1号店は巣鴨!なぜ巣鴨?
・道場のイニシャルコストについて
・道場経営はどれくらいで軌道に乗った?
・道場経営の最大の苦労は?
・仲間たちの助けがあった!
・柔術道場を経営したい人の資質について!
・トライフォースのシステムについて
・プロMMA選手もトライフォースを経営出来る!?
・副業でも道場経営できる!?
・他ジャンルのクラス開講はあり!?
・早川メソッドの習得にかかる期間は?
・支部へのアドバイスについて
・他のジムからの相談には応えるんですか!?
・好きとやる気で成功できるのか!?
・島田裕二が保育士資格をとったきっかけ
・トライフォースの今後の展望

【本日21時】早川光由のトライフォース魂Radio! supported by ガナビー

By お知らせ, トライフォース魂Radio

TOKYO FMのポッドキャスト『Audee』にて、

『早川光由のトライフォース魂Radio!』Supported by ガナビー

という番組を持たせて頂くことになりました。

パーソナリティーは早川光由と、趙壽廣の二人でお送りします。

第1回ゲストは『パラエストラ代表 中井祐樹先生』にお越し頂きました。

初回の放送日時は、1/31(水)の21時からを予定しています。

Audeeアプリのダウンロードを宜しくお願いします。

トライフォース魂!

AuDee
https://audee.jp

中井祐樹(なかいゆうき)プロフィール
ブラジリアン柔術家、元総合格闘家。1970年、北海道浜益村生まれ。北海道大学法学部中退。札幌北高校ではレスリング部だったが、北海道大学で寝技中、心の七帝柔道に出会い、柔道に転向。七帝戦で北大を12年ぶりの優勝に導き、4年生の夏に大学中退。上京してプロシューティンブー(現在のプロ修斗)に入門、打撃技も身に付けて総合格闘家に。1994年、プロ修斗第2代ウェルター級王者に就き、1995年のバーリトゥード・ジャパン・オープン95に最軽量の71キロで出場。1回戦のジェラルド・ゴルドー戦で右眼を失明しながら勝ち上がり、決勝でヒクソン・グレイシーと戦う。このときの右眼失明で総合格闘技引退を余儀なくされたがブラジリアン柔術家として復活。現在、日本ブラジリアン柔術連盟会長、パラエストラ東京代表。

趙壽廣(ちょうすがん)プロフィール
トライフォース本部道場所属
昭和56年10月6日生まれ
学習院大学経済学部経済学科卒業。2005年に三菱UFJ不動産販売株式会社入社。東証二部上場の株式会社アルデプロ執行役員兼海外現地法人CEOとして従事。2015年に株式会社ガナビー設立し、不動産事業と並行しスポーツ事業部として柔術アカデミー『トライフォース』及びパーソナルトレーニングジム『BE BURNING GYM(ビーバニ)』を運営。

さおり&リキが凱旋【ワールドマスター&柔術コン2023】

By 池袋

さおり&リキが凱旋。

本部にて二人に優勝報告をしてもらいました。

いつも気にかけて下さっている会員のみなさまに、良い報告が出来ました。

会員のみなさまも、普段教えを受けている先生や、アカデミーを代表して戦うアスリートの活躍は、ご自身のことのように嬉しく思われたのではないかなと、万雷の拍手を迎えてそう感じました。

今後もみなさんの夢を、彼ら彼女らの背中に乗せてやって下さい。その想いが力となり励みとなります。

 

リモートによるインストラクターコース

By お知らせ, 博多, 大阪, 新宿, 池袋

あまり公開されたことはない芝本幸司のオフィスです。

地方支部の会員さまにインストラクターコースを実施中です。

遠方より参加を希望される方のために、インストラクターコースはリモートでも実施しております。

トライフォースメソッドの全てをお伝えすべく、芝本幸司がビデオ通話にて質疑応答も致します。

参加者は緊張されるかもしれませんが、意外にギャグとかも言う男なのでご安心下さい。

インストラクターコース
https://www.triforce-bjj.com/certified-instructors/certified-instructors-course/

参加資格は青帯以上のベーシック検定1級合格者です。それほど高いハードルではありません。

現在60名の方が認可インストラクターとして登録されています。

認可インストラクターは、各支部での指導の機会を得たり、独立して支部を立ち上げることも出来ます。

何よりもご自身の柔術の理解度を深める一助となるに違いありません。

ご興味ある方は是非お申し込み下さい!

ガリットチュウ福島『ワールドマスターチャンピオンへの道』結果

By お知らせ, 池袋

JIU-JITSU NAVIプレゼンツ

ガリットチュウ福島『ワールドマスターチャンピオンへの道』

この1年間、早川はこのプロジェクトを応援し、共にトレーニングし、見守って参りました。そして無事に終了を迎えました。

結果は3位。立派です。よくがんばりました。とても感動しております。

願わくばコーチとして現地入りしたかったのですが、それが出来なかったことは心残りでした。

今後、イチ柔術家の福島善成として修行を続けられるのか、きっぱり辞められてしまうのか、あるいはさらなる挑戦プロジェクトを始められるのか。

この日に少しミーティングしましたが、ご本人からいずれ何かしらの宣言があるかと思います。

私としては、どの道へ進まれても応援しております。今はただ、共に良い時間を過ごすことが出来たことへの感謝の気持ちで一杯です。

改めまして福島さん、おめでとうございます。

柔術ナビの新明編集長もお疲れ様でした!

大宮BJJ JAM 1999(早川光由 試合映像)

By お知らせ, 池袋

旧ピュアブレッド大宮道場で行われたワンマッチ大会。

当時のジムの雰囲気がとても懐かしい。中井先生と初めて練習させて頂いたのもこの場所だった。

日曜日には、車で1時間以上掛けて出稽古へ行き、吉岡プーさん、シッシー宍戸くん、桑原くん、野口くん(早川的には当時のピュアブレッド四天王)たちと練習させてもらった。

同じメンバーとはパラエストラさんの昼柔術でもいつも練習していたが、日曜日も私の方から足を運んでたまに練習をした。

思い返すと、白帯の片岡くんや小野瀬くんもいたかな。カーロス・ニュートンとかもなぜか普通に居たりして、その日その場に

居合わせた色々なメンバーと手合わせすることが出来た。

試合の話に移ろう。レフェリーは桑原幸一先生。

序盤で使っている両足開脚フックによる押し倒しスイープは、現在のノーギシーンで再び見られるようになった技だ。20年くらい使い手を見なかったが、技は巡る。

ベースボールチョークは、私としては珍しい決まり手だ。セコンドに付いて下さった和道さんが「頭を挟め!」とアリアンシの技法をアドバイスをして下さっているが、私は自分のやり方を押し通した(笑)。

試行錯誤の蓄積が将来の確かな技法に繋がる。

アリアンシ練習動画 2000年 早川光由

By お知らせ, 池袋

ブラジル、アリアンシのクラス風景を丸々撮影した動画を発見した。記録映像として私が収めていたようだ。撮影は2000年。

動画は主に朝クラスの映像で、終盤に夜クラスの様子も少し映っている。

朝クラスの指導はガブリエル、夜クラスの指導はパイヴァ先生だった。パイヴァ先生は私が日本からお土産で持参したイサミのドーギを着て下さっていた。

以下、タイムスタンプで追う。

00:08 ウォームアップ
クラスの始めはブラジル式ウォームアップを行う。様々なメニューがあるが、この日はジャンピングジャック等のステップから始まり、その後に立ち技の打ち込み、そして足上げ腹筋やすり上げプッシュアップといった補強運動に移行した。この日のウォームアップには約20分の時間が割かれた。

18:54 テクニックドリル
テクニック指導はだいたい日に1つ、多くても2つ、ウォームアップ後にそのままスパーリングへ移行することもしばしばあった。もちろん今のトライフォースのように会員のレベルに応じた細かいクラス分けなどもされていない。白帯が生き残るにはなかなか大変な環境であったと思う。

25:53 スパーリング
スパーリングはこの日は3本行った。少ないと思われるだろうが、何帯であっても1ラウンド8~10分が通例だったのでそれなりの強度にはなる。ガブリエルは手持ちのタイマーで一応時間を計ってくれてはいるが、たぶんほとんど見ていない。スパーリングによって明らかに時間のばらつきがあった(笑)。

1本目は青帯のナターシャ。美しい女性だったのでよく覚えている。私は新参者の外国人修行者ではあったが、女性やキッズともよくペアを組まれた。ジェントルスパーができる男と認められたと解釈した

2本目は黒帯の先輩。この日は攻勢のまま終えることが出来た。アリアンシの練習においては、一部の黒帯を除き、茶帯以上の相手に対しても紫帯の私が引けを取ることはなかった。

練習試合にも積極的に抜擢されたが、上の帯と組まれても一度も負けたことはなかった。今だから書ける話ではあるが、入門初日に茶帯のインストラクターも極めてしまっていた。

ちなみにそのインストラクターはなかなかタップしてくれなかったので、パイヴァ先生が見込み一本を取ってくれた。

思えばその日以来、先生は私に一目を置いてくれていたのかもしれない 。

40:35 アロウド・ビクトリアーノ
3本目の相手はアロウド・ビクトリアーノ。アロウドはムンジアル(世界選手権)ミドル級の銀メダリストで(決勝はパイヴァ先生とクローズアウト)、レジェンドのジャンジャック・マチャドにもニーロックで勝利している強豪だ。

スーパーナイスガイで、つたない英語しか話せない私にいつも話しかけてくれた。そして毎回稽古を付けてくれた。日本が大好きだと語っていた。

さすがに当時の私ごときでは太刀打ちできない相手だったが、アロウドとのスパーリングでは、今の自分の技に通ずる多くのテクニックを学ばせてもらった。

動画では必殺のニーロックをしっかり極められている。足取り式の後三角(リバーストライアングル)も強烈だった。

49:10 パイヴァ先生の指導
ここからは夜クラスの映像に移行する。パイヴァ先生がシングルレッグに対するカウンターを指導しておられた。1つ目は帯取り返し、2つ目はローシングルに対して反転して押さえる方法だ。これはマスターカリキュラムに精通する私の高弟たちも唸る動画であろう。同じコンセプトの技法を私も踏襲している。

パイヴァ先生のスパーリングも何本か収められている。先生はとにかく超人的な強さだった。以前に私のブラジル修行日記で触れたことがあるが、私の足の裏はパイヴァ先生の体に触れることさえ出来なかった。漫画やドラマ等で「指一本触れさせずに勝つ」というセリフは良くあるが、それの足の裏バージョンをリアルに体現される先生だった。

前述のアロウドもひたすらコテンパンにされるレベルだった。生徒の中では最強でありムンジアルのスーパーヘビー級王者のレオ・レイチも全く敵わない。競技引退後も永遠に強さを維持するという、将来的に指導者になった時の理想像として、私が思い描く姿がそこにあった。

第1回 BJJ JAM 1998(早川光由 試合映像)

By お知らせ, 池袋

1998年の年始に行われた国内初(?)柔術ルールによる大会『BJJ.JAM』。

パレストラ(現パラエストラ)東京のオープン記念イベントとして行われたと記憶している。まさに伝説の幕開けと呼べる大会であった。

私にとってはこれが正式な柔術ルールによる初試合だった(膝立ちから始まる道場内での練習試合は2度ほど経験していた)。

会場はファイトクラブの様相を呈していた。あれだけの人に囲まれた状態でよく戦えたなと思う。まるでランバージャックデスマッチのようだった。応援も物々しい。

画質や内容的には、グレイシーINアクションのビデオを見ているかのような錯覚にも陥る。

道場に入り切らなかった来館者の群れが、外階段の上まで溢れていたことをよく覚えている。

あの日、あの場所には、後に盟友となる多くの仲間達が居たようだが、まだ話したことはなかった。

パッと見た限りでは植松が見える。浜島くんも居たらしいが、初めて話したのはこれよりも大分あとの事だった。

少なからず資料価値もあると思い、ここに紹介する。

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